滅びゆく町角
2014-09-27
2021-07-18
“『町』と書くと住んでいる場所の事で、『街』と書くと出かけていく場所のような気がする”
とは渡辺武信の言ですが、最近は町角がどんどん減っているような気がします。
先日も、所用で広尾に行った時、以前よく通った裏道を通ってみましたが、まったく見る影もなく、いくら記憶を辿っても、はっきりとした場所も分からなくなってしまった始末。。。緑が少し道にかぶさる、趣のある路地でしたのに残念。。。
広尾では、青木坂もフランス大使館の改修工事で、青木坂にかかる敷地に新築マンションが建ち、だいぶ趣が変わってしまいました。以前は、石垣の、成熟した町だけが持っている風格があったのですが。。。この時点でも、反対側は既に、かつての良さは失われていましたが、今では、石垣も撤去され、マンションの公開緑地のようなインターロッキングの歩道になっています。
渡辺武信は『街』の良いところは、無名性の中に埋没できることとも言っています。
確かに『街』には、渋谷や原宿、表参道のような人が大勢いて、個より衆としてのイメージがあります。『街』には、衆の中にいる安心感もありますが、『町』には個を認めてくれる安心感があるように思います。
身近にあった『町』が、『街』に変化していく中で、住む人の心もどのように変わっていくのかなと考えながら、最近は『まちなか』を散歩するようになってしまいました。
こんな大谷石の塀も少なくなってきましたね。
白金の聖心女子学院の煉瓦塀
霞ヶ丘団地の石垣。ここもいずれはなくなってしまうでしょう。
「タモリのTOKYO坂道美学入門」が、かつての東京の街並みを知る、重要な史書になることもあるかもしれませんね。
是非フォローしてください
最新の情報をお伝えします