阿佐ヶ谷住宅

福永です。昨日、散歩してきました。

丸の内線の南阿佐ヶ谷駅から歩いて5分程のところにある『阿佐ヶ谷住宅』です。

昭和33年に日本住宅公団が分譲した、総戸数350戸の団地です。

現代の私たちがイメージする、5階建ての箱形の建物が整然と並ぶ団地ではなく、3-4階建てのいわゆる箱形の建物と、2階建てのテラスハウスが混在する、建物のスタイルや高さ、部屋のタイプ等、バラエティに富んだ団地です。

更にテラスハウスには、屋根がフラットな陸屋根タイプと、傾斜した三角屋根のタイプの2種類あり、三角屋根のタイプを、ル・コルビュジェとアントニン・レーモンドの2人の下で修業した、前川國男が設計したことで知られています。

アントニン・レーモンドはフランク・ロイド・ライトの下でも仕事をしており、帝国ホテルの建設にも関わっています。コンクリートブロックに赤い三角屋根の阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスは、そんな著名な建築家の影響を受けている住宅なのです。

阿佐ヶ谷住宅

阿佐ヶ谷住宅

前川國男が日本住宅公団の団地で設計したテラスハウスは、昭和32年の鷺宮住宅と、昭和33年の烏山団地の3か所。

解体の話も出てきているので、その前にどうしても見ておきたくて来ました。

阿佐ヶ谷住宅

建物の間に植えられた木々や広々とした児童公園は、広い敷地にゆったりと造られた、今でも団地の心地よさを演出する団地ならではの風景ですが、阿佐ヶ谷住宅に更なる心地よさを感じるのは、緩やかにカーブした道、様々な種類の植木に挟まれた小道といった景色のアクセントや、木の高さを超えない建物の低さといった、他には見られない特徴にあるのかもしれません。

阿佐ヶ谷住宅

阿佐ヶ谷住宅

運動会や花見が開かれたり、住人のコミュニケーションの空間であった中央広場。

阿佐ヶ谷住宅

建物の配置の設計をした、建築家津端修一は、雑誌「住宅建築」1996年4月号のインタビューで以下のように語っています。

「阿佐ヶ谷団地のテーマは、コモンでしたね、やはり。日本のまちというのは、人が通る街路と、区分された個人の宅地で構成されていて、公共空間としては公園がありますが、管理は自治体などが行いますから、「コモン」という概念は日本の住宅地のなかにはなかったといえるでしょう。だから、個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなものを、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか、それがテーマだったんです。阿佐ヶ谷団地のコモンがどう育つかと」つばた・しゅういち/自由時間評論家

建築家ではなく、自由時間評論家とするところがおしゃれ。

確かに、個人の敷地と共有の敷地との境界が曖昧になっている印象を受けました。それが建物や道の配置によるものなのか、草木の配置によるものなのか、そして、意図したものなのか、自然にそうなったのかは分かりませんが、その曖昧さが親しみや共感を生み出しているような気がしました。

住宅建築

『住宅建築(1996年4月号)』には、石井秀樹さんによる7世帯の住民へのインタビューも記録されています。購入当時のことや、家族構成の変化による暮らし方の変遷、それによる増築のことだけでなく、再開発についても語られていて、貴重な資料です。

写真は鈴木理策さんでした。阿佐ヶ谷住宅も撮っていたんですね。

鈴木理策 熊野雪桜

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津端修一は、前川國男と同じくアントニン・レーモンドに学んだ建築家です。
この散歩の数年後に公開された、津端修一と奥様の、晩年の生活に密着した映画『人生フルーツ』もおすすめです。

前川國男の自邸は、江戸東京たてもの園に移築され、室内も見学できます。


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話は変わりますが、阿佐ヶ谷には、馬込、田端に次ぐ文士村があったそうです。高円寺から西荻窪の間に、井伏鱒二や太宰治などが住み、阿佐ヶ谷会という会を作り、将棋や酒、文学談義を楽しんだとか。会員の一人、亀井勝一郎は函館出身で、その実家は、函館の西部地区にある大三坂に旧亀井邸として現存しています。

函館好きとしては、密かな縁に心が躍るのでした。

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shun
  • shun
  • 【保有資格】 ・宅地建物取引士 ・2級ファイナンシャル・プランニング技能士 ・相続アドバイザー 3級 ・住宅ローンアドバイザー ・損害保険募集人資格 ・甲種防火・防災管理者

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