小江戸川越の近代建築をめぐる旅
旅は気まぐれ風まかせ。
特に予定を立てずに、あ~なんかどっか行きたいなぁと思った時にぶらっと旅に出るのがいつもの流れ。
午前中、自転車でお客様訪問を終え、帰り道に風にあたって走っていると、そぞろ俺流な気持ちが沸き上がり、みんなに連絡すると、
「全員OK!」ってことで、急遽あてどない旅を開催することに。
今回は、いろいろと男所帯では雑になってしまうところを、経験と胆力でいつもサポートしてくれている藤田さんのリクエストで、川越。
小江戸と称される街並みが人気のかつての城下町です。
ブログ書くぜ!とカメラを持って行ったものの、バッテリーを忘れるハプニングはありましたが、まずは丹徳庭園から。
丹徳庭園とは、川越で材木商を営んでいた鈴木徳次郎の私邸の離れにある日本庭園です。屋号の丹波屋と徳次郎を掛け合わせて、丹徳と呼ばれていたそうです。
現在も子孫の方がお住まいになり、離れを一日一組限定の一棟貸しの日本家屋の宿として運営しているそうです。
お茶をいただいて、メインストリートへ。
明治26年の川越の大火をきっかけに建てられていった、蔵造の商家が軒を連ねています。札の辻の交差点から始まる蔵造の商家は、途中からはニセ柱の看板建築に変わり、明治、大正、昭和の商店建築の移り変わりが楽しめます。
川越のシンボル時の鐘
大正7年築 保岡勝也設計の旧第八十五銀行本店(現埼玉りそな銀行)
規模は違いますが、かつての風情を残す城下町ということで、以前に行った犬山城下町を思い出しました。犬山もそうでしたが、どうも城下町が観光地化すると、食べ歩きスイーツのお店が増えるようですね。歩き続けて塩分が不足したせいなのか、途中から焼鳥屋が欲しくなりました。
このタイミングで赤提灯を見つけたら、即決です。
コーヒーが飲めるところも見当たらず(行った日はお休みのお店が多かった)、町の休憩所に立ち寄ったら、この日最大の出会い。保岡勝也の設計した住宅が近所にあることを知りました。
保岡勝也は、三菱合資会社に入社し、曽禰達蔵の下、丸ノ内の煉瓦オフィス街の設計に加わり、一丁倫敦を設計を行った建築家です。
私が保岡勝也を知ったのは、内田青蔵著「日本の近代住宅」で、それによると、「わが国最初の住宅作家」とあります。
その保岡勝也が、川越の老舗菓子店「亀屋」の五代目山崎嘉七の隠居所として、大正14年に建てた旧山崎家別邸です。
山崎嘉七が、第八十五銀行(現埼玉りそな銀行)の副頭取でもあったことが縁で、本店を手掛けた保岡に依頼したのではないかと考えらえれています。
1階の玄関回りが洋風で、その奥が和風の和洋折衷住宅です。川越へ
丸石を埋め込んだ土間、浴室のタイルなど、床の作りにも特徴があります。
階段のステンドグラスは、小笠原伯爵邸や鳩山会館のステンドグラスも手掛けた、小川三知の作。
心に染み入るいい住宅でした。
近所には、こんな素敵なハーフティンバーの歯医者さん。昔からある町のお医者さんには、こういう素敵な建物のところが多いような気がします。後に調べたところ、地元の棟梁印藤順造という方が、洋風建築を研究して建てたとのことです。
晩御飯はこちら、日本料理、蕎麦処「中正屋(なかしょうや)」
江戸時代は旅籠だったという商家を継いだ方が、リノベーションして始めたお店です。旅籠時代には、小林一茶も宿泊した記録があるそうです。
午後から急遽始めたプチ旅行でしたが、いい建物との出会いもあり、短時間ながらも十分楽しめました。
さらっと車で行ける、「午後から旅行」。皆さんもいかがでしょうか。
ところで、東京近郊には、もう一つの小江戸がこざいます。
そこについては、こちらで紹介しています。
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